ピラミッドの下で

デンマークの偉大な建築家Povl Vilhelm Wohlertは、ルイジアナ美術館の増築部分を手がけたことで知られていますが、ほかにも様々な建物を設計しています。例えばSamsø島にある真珠のように美しいサマーハウス。BO BEDREはこのサマーハウスをくまなく視察、オーナーにインタビューしました。芸術家と音楽家の彼らは、ここでインスピレーションを得ているようです。

Posted at : June 18, 2016

COL_160625_02

建築家が設計を始める際に、周辺環境を考慮するのはとても重要です。建物は土地と一体となるべきものだからです。別の言い方をすれば、建物はその場所特有のものとなるべきで、周囲の環境とコミュニケートし、うまく調和しなければなりません。この重要なガイドラインを守らなければ、残酷な結果になりかねず、こうした悲劇は建築史の中で数多く見られます。全ての偉大な建築家は、この重要なパラメーターをもとに設計しています。例えば、1972年に建築家Jørn Utzonsがマジョルカ島に建てた海辺のヴィラ『Can Lis』。独特の海岸線や、常に移り変わる自然光を視野に入れて設計されたそれは、マジョルカ島スタイルの建築であることをよく表しています。近年では、Lundgaard & Tranbergs & Stig Lennart
Anderssons
が、SEB銀行のために建てた二つの美しい10階建ての商業ビル。そして忘れてはならないのが、レイキャビックの新しいトレンドマークである『Harpa』。この素晴らしいコンサートホールは、建築家Henning Larsenが、アイスランドのBatteriid Arkitechtsとコラボレートして設計したものです。芸術家のOlafur Eliassonは、この建物に12角形のガラスタイルを使った見事なファサードを作りました。

建築家Vilhelm Wohlert氏(1920—2007年)もまた、建築物と周囲の環境の調和を重要視したことで知られています。彼はパートナーのJørgen Boとともに30年かけて完成させた、ルイジアナ美術館の増築で特に有名です。それは、庭園とØresund海峡とを見事に一体化させた増築でした。この建物の長い回廊に設置したガラス戸と窓を通して、庭園と海峡の美しい風景が建物内に取り込まれています。この他にも彼の設計した建築は多く、IngerとJohannes Exnerとともに設計した、Roskilde市にあるフレデリク9世の霊廟や、Høje TaastrupにあるTechnological Instituteなどが代表例です。そして、Frelser教会やThe David Collection美術館、コペンハーゲン大聖堂など、多くの修復工事も手がけています。さらには、TisvildeにあるNiels Bohrの別邸や、この記事のSamsø島にある自然保護地区Nordby Bakkerのサマーハウスなど。この世のものとは思えないほど美しいこの地区には、作家のThorkild HansenとThorkild Bjørnvigが住んでいた家もあります。1998年に建てられたこのWohlertサマーハウスは、画家のKarin Birgitte Lundと作曲家のPelle Gudmundsen-Holmgreenがオーナーです。

この家は両端にピラミッドを持ち、黒くペイントされた細長い長方形で、美しい藁葺き屋根で仕上げられています。東方向にはKattegat海、西にはAarhus湾が見えます。家の北西側には正方形の部屋が作られ、建物から尖って出るような形で斜めに配置されています。この、船の先頭部分を連想させる特徴的な部屋は、かつてSamsø島のあちらこちらで見られたテレグラフ通信所をイメージして作られています。18世紀初頭、軍はここで視覚テレグラフィを行っていました。天井を高く取った部屋のピラミッド上部にはガラスが嵌め込まれ、柔らかな自然光が上から、そして部屋の角にある窓やガラス戸からふんだんに入ります。ここでは画家のKarinが、グレートーンの繊細なドローイングを進めていました。

反対側にある小さめのピラミッドの下では、Pelleが作曲をしています。

「ピラミッドの下にいるのは脳に良いと聞いたことがあります。考えがクリアになり、効率が上がるそうです」とPelleは皮肉っぽく言います。反対側にあるアトリエで仕事をする彼の妻にはこの部屋の音が届かないため、好きなだけ音を立てることができる、と。彼と私は霧妻屋根の下にある、陽光が気持ち良い、風除けのある小さなテラスに座りました。

「どのような経緯で、建築家Vilheim Wohlertにこのサマーハウスを設計してもらうことになったのですか」

「戦前から私の家族は、Stavns入江の小さな半島にある漁村Langorで休暇を過ごしていました。夏になると日がなビーチに横たわっていたものです。当時コペンハーゲンに住んでいた私たち3世代家族は、漁師のMikkel Peder Fogedから毎年夏の間、彼の家の一部分を借りていたのです」

「家族の中で母の意見はとても重要でした。その母が、彫刻家だった私の父Jørgen Gudmundsen-Holmgreenに対し、チュジニアに長期旅行してインスピレーションを得るべきだとアドバイスしました。1947年のことです。父はそこで建築家のVilhelm Wohlertと出会いました(私たち家族は長年、彼のことをPovlと呼んでいましたが)。この建築家と私の父は生涯の友となり、Povlはその数年後に、Hellerup市にあった私たちのヴィラに、バイオリンを弾いていた私のための音楽室を設計してくれました。私が高校生だった時のことです。その部屋は、アラビアの建築様式にインスピレーションを受けたことが明らかなものでした。これはチュニジアへの研究旅行でPovlが学んだものでした」

「漁師のMikkel Peder Fogedが亡くなり、私の家族が彼の家を受け継ぎました。そしてその後、私がその小さな家を相続しましたが、家族が増えるにつれ、私たち夫婦の場所がなくなっていきました。私たちはもはや、仕事をするための静寂さを手にすることができませんでした。こうした事情で別の家を探すことになったのです」

長年、高等学校で美術の教師をしていたKarinには、ある程度の貯金がありました。そのため、夫婦は自然保護地区Issehovedの建築プロジェクトにとても興味を持ちました。このプロジェクトはもともと、ある医師が計画していたものでしたが、自然保護局からの許可が下りなかったために、この医師は自分が始めた計画に対する意欲を失っていました。このことがKarinとPelleにとっての幸運となり、この土地を購入して理想の住まいを作ることが可能となったのです。この出来事はSamsø新聞に『丘に建設中の嫌われもの』というタイトルで掲載されることとなります。住人たちは皆、この自然保護区に新たな建物が建築されることはもはや無いだろうと考えていたからです。しかしこの場所が自然保護区に制定される1960年以前から、長らく手付かずだった土地の中の一つが、彼らの建築計画に最適の土地でした。

「PovlはPelle一家の良い友人だったので、この計画を知るとすぐに、自分が設計しようかと申し出てくれました。5エーカーもあるこの土地の大部分は芝の丘で、牛と羊たちが歩き回っているようなところです。Povlはここに何度もやって来ては風景の中に身を置き、イメージを膨らませていました。そして設計案が完成した時には、Aarhus市と自然保護局から9人もの担当者が来ました」とKarinは言います。

PelleとKarinは結果を待つ間、落ち着きなく歩き回ったと言います。結果は全て良いものでした。ガラスのピラミッド部分や、いくつかの条件に合わない箇所があったにもかかわらず、この建築計画は承認されました。

「私たちが遵守しなければならない地役権がいくつかありました。まず、家は藁葺き屋根でなければならないこと、そして、建てるのは一棟だけというもの。外壁は白石灰または黒タールのどちらかでなければならず、さらに家の周囲には、この地域独自の植物を植える必要がありました。Wohlertは、これらのルールに対して事務的に対処しました」

「Povlはこの場所をとても気に入って、プロジェクト開始を楽しみにしていましたが、私たちは費用について懸念していました。なぜなら、彼の美学と、その実現にかかる費用は決して安いものではないと知っていたからです。最終的にPovlは、この80㎡の大きな家の設計をオフィスのデスクではなく、キッチンテーブルの上でしてくれたことで〜つまり私的に取り計らってくれたのです〜コスト面はクリアできました。彼にとってこれは“愛のこもったプロジェクト”だったので、結果的には、Povl自身の美学を最高に表現できる仕事になったようです。例えば彼は、レンガ製の暖炉を、この家の幾何学的な形に合わせて一箇所にまとめて設置するような方法を採用しました。私たちは、それは本当に必要なものなのか?と聞きました。これに対しPovlは即座に「ケチだな!」と答えました。こうして私たち夫婦は、美学に関する彼とのバトルにことごとく敗北しましたが、今となっては感謝しています」

この家はSamsø島の最高の職人たちによって建てられました。彼らは、最高のものしか認めない建築家がリードする中で、存分にその腕をふるうことができたようです。このサマーハウスは地元の大工・家具職人のReinholdt Jensenと、彼の弟子のHalfdanやBentらによって作られました。このことは、値がつけられないほど価値あるものであった、と二人は言います。この家の中には、工業製品はほとんどありません。同じように職人技が生きる藁葺き屋根は、島の藁葺き屋根職人であるJan Ekの手によるものです。

「竣工の日、Reinholdtは玄関に掛けたリースの上に国旗を置きました。彼はこの建物と自分の役割にとても誇りを持っていました。そして、私たち夫婦とReinholdtとの付き合いはそこで終わったわけではありません。彼は先日、収納庫にスライドドアを取り付けてくれたばかりです。私たち夫婦がこの家の手入れをきちんとしているかどうかを確認するため、彼は頻繁に来てくれるのです」

外壁・内壁ともに、亜麻仁油をベースとしたペンキで塗られています。外壁はまず、生の亜麻仁油を薄めたものを木材に塗布して固くし、その上からペンキを塗っています。この家は砂丘の上、しかも海辺に建っているため、このような手順が必要でした。

この家で使用している全てのタイルはハンドメイド、把手は真鍮製です。この家はその形と機能以外にも、注目すべき素晴らしい点があります。例えば、各部屋にロフトとガラス扉が設置されていること。これはNiels Bohrのサマーハウスからインスピレーションを得たものです。このように、建物の細部に至るまでVilhelm Wohlertの、伝説的なクラフトワークのアプローチが表現されており、KarinとPelleはこの家に住むこと、そしてここで仕事することを心から楽しんでいます。車を持っていない彼らは、その年齢にもかかわらず、BallenのフェリーポートからIssehovedまで23kmほどの道のりを自転車で行き来しています。

「選択肢は家か車のどちらかだったのです」

<本誌2016年6月号p.68->

COL_160625_12

Simple Share Buttons